2代目:関 昭悟
有限会社セキ畳店代表取締役
元日本サッカー協会公認指導者
所沢市消防団第10分団
所沢市商工会議所青年部
サッカーに明け暮れていた小、中学校時代。日本にはまだプロリーグがなく、ワールドカップはもちろん、オリンピック出場すら難しい時代に本気でプロになりたいと夢見ていた。高校進学を前に読売クラブ(現東京ヴェルディ)に入るか、高校で全国高校サッカー選手権を目指すか、悩む日々が続いていたが、選手権の夢は捨てきれず、読売クラブを蹴って高校のサッカー部に入部する。
入部して待っていたのが、厳しい上下関係と、自分が目指すサッカーが出来ない苦しみだった。1年間監督と衝突を繰り返し退部する。初めての大きな挫折に退学まで考えたが、仲間の説得もあり高校を無事卒業する。
高校卒業後、家業が畳店ということもあり、セキ畳店に就職。当時機械化が進む業界の中で、セキ畳店は手縫いで畳を作っていた。悪戦苦闘する中、3年で手縫いの技術を習得。この商売を一生続けていくと決意する。
その後、経営方針の違いで父と衝突することは絶えなかったが、代替わりも目前というときに大変な事態が起きる。母が倒れ入院することになった。帰ってくるまでの間、家族一丸となって仕事をこなしていたのだが、医師から呼び出され余命宣告を受けることとなる。それからというもの交代で病院に行き、父は昼夜問わず病院に泊まり込んだ。1ヶ月経ったある日の早朝、妹から「危ないから早く来て」と電話が鳴る。その日の仕事の段取り修正、手配、伝言を済ませ、急いで病院に行くも間に合わず、自分一人母を看取ることができなかった。家族の悲しみは深く、父は仕事も出来ないくらい憔悴していた。
「これからは父を支えながら、自分が引っ張っていかなければ。」この出来事が自分を一回り大きくさせてくれた。これも母の力だと今でも思っている。
平成24年父から代表取締役を受け継ぐ。地域密着を推進すべく商品、品質に対して最適な提案ができるようにと考え、国内最大産地、熊本県八代市に農場を借り上げ、農家さんと共同で畳の原料であるイ草作りに着手。産地で自分が見て確かめた畳だけを直送するシステムを確立する。
その後、より良い畳作りを地元に広めるために、所沢駅前にデモンストレーション店舗をオープンさせ、気楽に畳作りを見学、体験できる店作りを目指し、神社仏閣から一般住宅まで、幅広いメニューを提供している。
今では息子もセキ畳店に就職し、日本の伝統文化である畳を後世に伝え残すとともに、世界で他とない床材畳の新しい可能性を追求している。