畳は中国由来だから日本だけじゃない!?歴史から見る輸出の現状と将来の展望とは

東南アジアや欧米を旅行した経験がある方は、もしかしたら畳が敷いてあるのを目撃して日本だけじゃないんだと驚かれたこともあると思います。

そこで疑問に思うのが畳はどこが発祥の地かということです。日本の文化は歴史的にみても中国からの影響を受けているのが多い中で、やはり由来は中国なのでしょうか?

そこで今回は日本だけじゃない畳の事情と歴史についてまとめてみました。最後までお読みいただければ幸いです。

千利休のおかげで畳が広まった!?日本だけが畳になった歴史の背景とは

昔から畳は今の形だったわけではありません。日本文化となっているものの多くは中国大陸から入ってきましたが、畳は日本で生まれ育ちました。洋風化が進む中で畳が姿を消すことがないのも日本の気候や湿気にも強く、生活するのにも良いものだからでしょう。それではさっそく畳の歴史を紐解いていきましょう。

畳は元々「たたむ」といった意味で「ムシロ」や「ゴザ」などを折り返して重ねるなど薄い敷物を表していました。

平安時代になると、今の畳に近いものが貴族や身分の高い人の間で使われるようになりましたが、座る時や寝るとき使用し、現在でいう置き畳みたいに床の一部に敷いていました。さらに身分や位によって畳の厚さや畳の両サイドに付いている布製の畳縁(タタミベリ)の柄や色が違っていたそうです。

その名残は今でも残っていて、寺社には一般では付けない格式にあった紋縁(モンベリ)という特殊な畳縁が付いています。今度お参りした時に見てみるのもいいかもしれません。

その後、室町時代になると障子や襖で部屋を仕切るようになり、床全体に畳が敷き詰められるようになりました。こうした造りを「書院造(ショインヅクリ)」といい現在の和室の基本となっています。

そして安土桃山時代を迎えると畳に大きな変化が起きることになります。千利休が畳を敷いた茶道を普及すると同時に一般の人に畳という敷物が広く認知され一般化します。まさに畳業界の大革命といったところでしょうか。

こうして江戸時代になり今の畳と変わらない畳となっていき、明治時代以降は西洋の文化が入ってきて洋風化が加速していきます。しかしこれは良いものであれば他の国の文化でも取り入れ、新しい形にしていく素敵なことだと思います。

畳という和室と異文化の洋間が一緒になった和洋折衷は、歴史的にも世界的にも日本だけなのかもしれません。

畳が遠くない将来中国由来になる?日本だけじゃない産地の事情とは

畳の原料となるい草は、国内では熊本・福岡・広島・岡山・高知・石川などで栽培されています。その中で熊本は作付面積と畳表の生産が共に約9割を占めるなど高いシェアを持っています。

しかし急激な洋風化の波の中で畳の需要は低下し、国内のい草農家さんは需要不足に陥り他の農業へと転向せざるおえなく、今でもい草農家さんの現象に歯止めがかからない状態です。

そこに台頭してきたのが中国由来の畳です。昔と比べて近年では品質の向上とともに一般住宅用として普及が進み、年間消費量の7割から8割を占めるようになってきました。

栽培地は寧波・上海・蘇州・四川などで、なかでも寧波が主産地として有名です。

日本だけの床材畳が世界に輸出されていた!外国人をトリコにする訳とは

畳は日本だけの独自の文化で、世界にも類がないと言われています。来日された外国人が浅草や京都に魅了され人気があるように畳にも興味を持ち、いつの間にかアジアをはじめ、欧米まで輸出するようになりました。

自国にいながら異文化である畳を感じられるのは、私たちが上手く和洋折衷したのと同じ感覚なのでしょう。輸出された畳などの日本の文化をインテリアとして取り入れ、よりリラックスできる空間を演出しています。

あなたも畳替えの際は地の利を得て、ぜひ良質な畳をお選びいただき異文化と融合させてみる、この機会に再発見してみてはいかがでしょうか。

まとめ

畳の歴史を紐解いてみると、現在の状況やこれからの展望がお分かりいただけましたか?私たちが海外に行ったときに日本食が当たり前のように食べれるように、畳も当然のように目にすることも珍しくない、そんな時代が来るのかもしれません。